今まで頑張ってくれていたSさんがしばらくお休みするというので
久々に歌会代表になった。
代表といっても事務局から来る郵便物や歌会についての問い合わせのの窓口としてが主だけど。
文芸結社それぞれの在り方もあるだろうし、私自身「長」と名のつくものになったこともないので
統率とかまとめとか、そういったことに無関心でありたぶん素養もないのだけど
自分なりになんとなく思っていた、歌会代表、というものについてちょっと記してみる。
そして歌会写真をまったく送ったことがない、ある意味謎のベールに包まれた?札幌歌会についての事も
せっかくだから書いていく。今回も写真撮り忘れたフォローのつもり。
��997年の発足だから結構長い。
そして「ヒマそうだから」という理由で代表に。当時は出来たばかりだったから、分業制にするほどそこまで打ち解けている部分もなく
現役で働いて多忙だったり、遠方から通ってきたり、家庭があって忙しかったりという人がほとんどだったので
それに比べればヒマ(でもなかったはずなんだが)な私が経理やプリント作成、司会など10年近くやっていた。
小さい歌会などでは、きっと代表1人が奮闘しておられるとこも多いと思う。
当時2~30代の私でさえ結構疲れていたのに、年配の方が多い他の代表さんだったらかなり堪えるのではないだろうか。
来年からは代表、経理、プリント作成と完全に分業制になる予定。朗読、司会は持ち回り。
歌作は個人的なものだけれども、人をまとめておくのとはまた別の話で
代表1人がひっぱるのではなく、他の方の協力があって歌会は成り立つものなのだという一人一人の意識って
維持させていくならば、やはり大事だと思う。
もちろん体調やどうしてもという事情があればそちらを優先させるべきだ。
出来る範囲で気を配る、というのが一番無理がない。無理があると綻びは出てくるから。
で、代表であるけども。
私の中での位置づけは「花見の場所取り」だ。それ以上でも以下でもない。
突き詰めるところ、やれることってそんなにない。
なんせ未だに歌会の中で一番若いので、熟成されている方々に対して
歌=人生について語れるものでもない。
皆が集まる前に茣蓙orブルーシートを敷いて待つ。
そのうち酒や肴持参で集まってくる。
なんとなく花見が始まる。
桜について詳しく語る人がいて
「へえ~」と感心して皆聞く。
「そういえばうちの桜もねえ・・・」と話し始める人がいる。
「ああーうちも」と言いだす人もいる。
不意に歌いだす人もいる。
不意に無言を楽しむ一瞬もある。
そして三々五々皆帰りだす。「いい花見だったねえ」と言いながら。
さてさてと茣蓙orブルーシートをくるくる丸める代表。
来月の花見を思いながら、後ろからてくてくと皆の後をついていく。
「○○さんの桜は幹が太い、□□さんの桜は色が濃い・・・」
それぞれの桜事情を思いながら、これから季節を経てどんな風に変わっていくのかなあと
思いをめぐらす代表の花見が脳内でまだ続いている。
桜を歌、花見を歌会に置き換えるとわかりやすいかも。
この歌会に出す2首だけが毎月書く歌という人が殆どだ。
歌会とはいえ皆が前傾姿勢な訳ではない、その人にとって日常をほんの少し彩るもの。
ささやかな息抜きとしての場所。それぞれにとっての歌会の在り方楽しみ方が
「歌」そのものの在り方だと思う。
花見の場所取りとはそういうことなのである。
代表というのはその場所を確保する人であればいいのではないだろうか。
いい歌を書き続けることとは別に。
��「まあ、いい歌さえ書き続けて行けばいいよ」と代表になった当初戸水氏に励まされた?ため
私の中でこれが唯一の代表の意義になっている。いい歌・・・・かあ。)
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