2011年3月30日水曜日

自意識の置き場

自分で意識していない部分で(生まれ育った環境からでしか知識や常識を得ていないというのもあるけど)

よくも悪くも泥を被れないひと、というのは存在する。

満たされた懐から差し出すことが優しさだと思っている。

そしてその大半はいい人なんだけど、案外自分から下手に出たり折れたり妥協したりがないので

周囲が意をくみ取る形で世間話は出来ても、お互いが有益に豊かになるような話し合いが難しい。


でも、泥を被れないことに負い目を感じているひともまた存在する。

ささやかでも動こうとすれば動けるのに出来ない。

自分なりにもっと出来る事、自分なりのより良いやり方と拘るほどに動けなくなってしまう。


良心に従って動く、という事に自意識は必要だろうか。



はるか先で車同士がぶつかる瞬間、聞こえなくても「危ない!」と叫んでしまう。

転びそうな子供やお年寄りに、届かなくてもばっと手を差し出してしまう。

でも突き詰めれば大層な理由はないのだよね。ただ、反射的に声が出たり手が出たりのこと。

そして被災地外で普通に日常を送りつつ、ささやかだけどと義援金をちょこっと振り込むのも

これとなんら変わらないレベルだと思う。

それでもひとりの声よりは100人の声なら届くかもしれない。

��00人が一斉に駆け寄れば転ぶのを阻止できるかもしれない(ちょっと想像すると笑えるが)

このうねりがじわじわと大きい力になっていくこの頃、他人だけど同じ血の通う「ひと」なんだなあと

感じるようになってきた。


あなたがあなたであるのは大事だけど、意味をなさない状況下なら素直に放り投げておけばいい。

自意識を脱いだあなたの裸を他人は大して意識していないことがわかるよ。

しばらくしてまた着直した時、「あ、サイズ変わったかな」とか「なんか似合わなくなった」と

感じる事が「成長」というのかもしれない。

2011年3月29日火曜日

青空ビッグバンド

何やかやと落ち着かないこの頃であるけれど毎夏開催されているサッポロシティジャズは

きっと時期的にも大丈夫かな・・・?と思うので数年ぶりになるけど是非見に行きたい。

サラリーマンが行き交う街角で、大通公園に特設されたミュージックドームで、

芸術の森で緑に囲まれながら、北海道で一番いい季節にjazzが聴けるjazz好きにはたまらない

国際フェスティバルなのである。

公式ホームページ

国内外有名なミュージシャンが結構参加してくれるので、どのLiveを観ようか選ぶだけでも

迷うし楽しい。ミュージックドームの異空間で聴くのもいいけれど

おすすめはNorth JAM Session 芸術の森の野外ステージを使って文字通り緑に囲まれつつ

青い空の下、芝生の上に寝転がってビールやワイン(サッポロビールやワインショップ、スープカレー等の出店もある。)

を飲みつつピクニック感覚で上質なjazzを楽しめるのだ。ある意味超贅沢な時間。

前に行ったときは子供連れも多く、なんせ敷地も広いので自由に遊ばせつつ親御さんたちは

まったり音楽を楽しんでいた。日が暮れて夜になるとまた幻想的な趣がある。

jazzというと薄暗い照明でムーディーなライブハウスで聴くというイメージだけど

ステージの照明が煌々としていて、星空と、照明に照らされた周囲の森のシルエットは

何だか非日常的さを感じさせる。それこそステージと客席の垣根もなくなるような。

日焼けと虫が大敵だけどwそれでも観終わった後のうっとり感は病み付きになる。





そんな北海道の空の下が似合いそうなグレン・ミラー。

「セントルイス・ブルース・マーチ」もいいけど、「茶色の小瓶」が好き。

今年はどんな音と出会えるのだろう。

2011年3月28日月曜日

つぶやきから~追記あり~

自分のつぶやきがある意味ヒントになるというのはどうなんだろう。

最初から下書き段階で広げていけばいいのにと思いつつもツイッターでつぶやいた言葉を

ここに記載。


感受性と想像力は相互性はあるけど別物な気がする。ガソリンとエンジンみたいな。


どっちがなくても動けない。

動けないから行動範囲や視野も広がることはない。

両方あってイコール表現力なのだろうか。

他者の立場に立って思いやれる気持ちもそうだと思う。

思っていることを伝える、伝わるのは技術じゃない、そういう根っこの部分じゃないのかな。

ちょろっと追記
長丁場になりそうなここ最近の震災関連。
関東近辺に住む知人たちの心の消耗が心配です。もちろん被災地に住む知人も含まれますが。
どうぞ無理にがんばりすぎないよう。見えないものの不安と共に家族を抱えていたりする人ほど
��本人は大丈夫と思っても)しんどいものがあると思われます。
男でも女でも時には現実を棚に上げて、涙、鼻水流して弱音だだ漏れで吐き出しちゃってくださいよ、ね。
なんならメッセで愚痴っても構わないのだし。そこは遠慮せずに。
わたしも疲れたときは素直に泣くし、でも、涙をぬぐう手はあなたたち用に空けてあることをどうか覚えておいて。

2011年3月27日日曜日

極限まで疲れたりすると、自然と浄化作用が働く。

それは涙。

誰も今では信じる人はいなさそうだけど、元来涙もろい。

思い出し笑いのように思い出し泣きもたまにあるし、

立ち読みをしては泣き、所さんの笑ってコラえての「高校生~の旅」シリーズを見ても泣き

基本感動とか悔しさがベースだと涙腺がぐっと緩む。

自分が前に進むためのリセットみたいなものだ。他者の悲しみとかにつられて泣くことはないけれども。

同じ時間を共有は出来るけど、人それぞれの悲しみの深淵には決して近寄れない。




繋がる絆の尊さ、喜びがシンプルに軽やかに伝わってくる。バックにかかっている音楽も素敵。

九州らしいおおらかさ、暖かさ(出演者が一般公募のエキストラさん達だというのが凄い)

沈んでいる心へも淵を乗り越えて届くような風を、距離があるからこそ実感できるものがあるんだと

改めて思った。

youtubeでもすごい人気なのだけど、これは被災地へのエールというより(もちろんその意味合いもあるけど)、

被災地外で気をもんでいる人々の鬱屈した気持ちを晴らしてくれるような印象を受けた。


We are connected. Hope to be delivered unto you this feeling.

2011年3月26日土曜日

震災が起きしばらくしてからのツイッターのフォロワーさんのつぶやきで

募金は好きじゃなかった、という理由の

募金をすることで「いいことをした気持ちになってしまう自分の矮小さ」に気づきたくなかったのだと思う。

でも今回は、その「気づきたくない」という気持ちのほうがよほど矮小だと思ったから、募金した。

という部分に激しく共感した。自分もそういう風なスタンスだったので。

良し悪しではなくこういう考えの人、かなり多いのではないだろうか。

直接の被災者でなくとも生活観や人生観がひっくり返るほどの今回の震災。

そして人間的で表現者的な気づき、とも思った。

その人なりの理由で助けに動けないジレンマを抱えるのも、メディアや政府等批判するのも

これから来る苦難の月日に思いを馳せ忸怩たる思いに苦悩するのも

皆、同じ一つの事に心を向けている証拠。

人類の重い見返りを、因果応報で淡々と受け止めていくしかないんだなと

思えた瞬間、「受容」という意味の深さを知ることが出来たような気がする。



禍福は糾える縄の如し



その縄に縛られながら、そこからわたしは


何を見出せるだろう。


何に繋げられるだろう。


何を生み出せるだろう。

さて、今夜は何を思おうか

表題のようなことを思いつつ、FC2ブログにログインし新しい記事を書くための編集ページを開く。

メモをとることもあるけれど、下書きなしに取り留めもなく書く気負いのなさが

個人的にしっくりくる。

テレビを見ながら、YOUTUBEを聴きながら、何かかにか食べたり飲んだりしながら(大体ながら)

コメントのレスを考えつつ、キーを打っては消して考え、

ふとこのブログをどこかで見ている、画面越しの知人や見知らぬ人を思う。

見えない繋がりの不思議さと不確かさと確かさと。

そんなことを考えつつ、そうして自分の中の余分なものを消していく。

物思うけれども、無の時間。

常に自分への問いかけが主なこの場所だけど

どこかでこの感覚の共有を、少しだけ望んでいる。

大げさでなくてもいい。

ぼんやりと、「ああ、俺も」という感じの。



わたしの無の夜、あなたの無の夜。



つながっているこの瞬間を思う。

2011年3月24日木曜日

だいすきよ

愛している、よりは好きかな。


マシュマロのような、ふわふわのひらがな。


このやわらかさが、日本語のたしかさ。


どっちも口に出しては絶対言えない私だけど


誰に宛てるわけでもない時も


誰かに宛てている時も


そっと、胸に点すだけ。






その方がずっと、消えない気がするのだ。


きっと、消えない気がするのだ。





2011年3月23日水曜日

紡げども遠ざかる

11-03-22_001.jpg

イーストを使わず重曹のみでふくらますソーダブレッド。

節約月間が続くので主食になるようなものを作ってみようかなとレシピを探した。

しばらく練習してみようと思う。ヨーグルト入れてますが、これ豆乳でもいいかも。

重曹の化学変化でふくらむので酢は必須ですが、アレルギーとか動物性脂肪だめとか

そういうひとにはいいでしょうね。


*************************************************************

しかし当ブログは料理ブログではないのでここまでw

上手下手は別として、手を動かして自分の暮らしを整えるのは好き。

ちょっとした手芸、工作、保存食、はては石鹸(これまた復活したいなあ)

作るたびに様々な発見がある。心安らぐ。


でも




満たされているのは瞬間だけ。



それがひとりという消費サイクル。そういうものだ。



柔らかく自分の時間を紡いでいるようで



そこから心底欲しているものから



どんどん遠ざかっているようでならない。



いつまでこうして、楽しいこと探しをひとりでやっていけるかなぁと



ずっと前から漠然と思っている。



引きかえにしているものの正体を



傍らに添わせながら。

2011年3月22日火曜日

いのちの灯



リレハンメル五輪のテーマソングなので「闘志」「情熱」な意味合いなのかな。

でもぬくもり感が個人的に強く感じた。

普遍的なおおきなものが底にはあるのじゃないかなと思った次第。

だから私は「こころ」「いのち」と採った。






風の道辿って
さぁ行こう空の彼方へ
爪先はいつでも 未来を向いてる
歌の翼広げて
連れてゆくどこまでも
ひとりにはさせないさ
共に 飛ぼう

苦しみ越え 出会い別れ
生きてゆく意味を
重ね合わせ 奏で合おう
夜明けの星のように

かかげよう 命の灯
胸に点した光を 道しるべに
終わらない旅が始まる


嵐の向こうにある
虹を見つけに行こう
果てのない旅だけど
君となら 歩ける

血も涙も 絶えぬ悲しみ
今この世のどこかでも
でもその頬を ぬぐうのも
癒すのも また人

重ねよう 想いは火
時も距離もこえて 世界中の
凍えた手をあたためる


苦しみ越え 出会い別れ
生きてゆく意味を
重ね合わせ 奏で合おう
夜明けの星のように

かかげよう 命の灯
胸に点した光を 道しるべに
つないだ手を抱きしめて
歌おう 終わらない歌

2011年3月21日月曜日

音楽も手

元来はクリスマスソングなのだけど、載せる。




キリスト生誕を祝うお金のない貧しい少年が、ドラムを叩いて主にその音色を捧げたという内容の歌詞。

音楽もまた手じゃないのかな。そして大きな乗り物。

聴く者を世界中どこまでも連れて行き、時には一緒にハミングしてハンドルを握らせてくれもする。

免許証はいらないけれど、うまく運転できる人は限られている。

スタートダッシュに遅れないよう、アクセルに足を添えて待つ

MusicMan達の鼓動が聞こえる。

2011年3月20日日曜日

言葉は手

首都圏は軒並み歌会中止・・・というところが多いみたいで、何だか寂しいような。

現在の状況を含めそれぞれの事情もあるので致し方なしではあるけれど、むしろこういうものほど

途切れさせてはいけない(物理的な理由以外なら)気もする。

よって今日は普通に歌会。

五行歌と向き合う、ということは、日常を普段通りに過ごし丁寧に暮らす、ということだ。

買い物やレジャーでお金を落として経済を回すように、私たちはこの「平穏な日常」をゆっくりと私たちらしく

循環させることに意味がある。人の営みが歯車のように繋がっているならば

その歯車を重ねることで、被災された歌人さん達の「平穏な日常」をも回らせる事が出来るのではないか。



今回は少人数で久々に点が入らない人はいなかった。くすっと笑えるユーモアあふれる歌が多かった。

普段通りの歌会だった。そして久々の1席。代表でも容赦なく0点になる恐ろしい歌会なのでw

記念に?貼っておく。
sotto.jpg
形そのものじゃなくそこから感じる「感触」が読む人の心に触れるのではないか。

自分の心を救い奮い立たせるのは自分だけだけど、それに気づけない時もある。

突っついたり、撫でてみたり、時には抓り、ツボを押す。

言葉や文字はそれを気づかせるきっかけに過ぎない。救うとか癒すとか変えるとか思いあがりだ。



「立ち上がれ」と引っ張るのじゃなく

「自分の足で立てるんだよ、ほら」と両の足をぽんぽんと叩くような

手触りが伝わるのが私の思う「歌の力」だ。いつかそんな手になりたいと思う。







あなたはどんな手でありたいですか?

2011年3月19日土曜日

順番待ち

こちら札幌でも「何とかしたいけど・・・」と連日飛び込んでくる震災の報道を目にして

歯がゆく思っている人はかなり多い。

正規な窓口の募金など、出来る範囲の事であれこれと支援しているといった具合だ。



尼崎在住の知人がいる。阪神大震災を経験している。

数年の付き合いだけどまず本人の口からその当時の話を言う事はなかった。

遠回しで伺ってもはぐらかされたので、私も触れないようにした。

そして先週の震災だ。かなり揺れてしばらくして収まった後、速攻携帯にメールが来た。

来たというかその来たスピードにびっくりした。

こちらは大丈夫とだけ返信して、その夜NHKの緊急報道番組を見ながらスカイプで話をした。

震災経験者からのアドバイスや体験談を訥々と話し始めたのだ(若干イキイキと)

意外な事だと驚きながらもうんうん聞きつつ、ふと彼が長年話題にも出さなかった理由が

何となくわかってきた。

当事者として得たこと、受け止めたもの、痛感したこと

それは平穏な時に話しても思い出話にしかならない

有事が起こって初めて共有出来うるものだから、今回それを語れる切っ掛けが出来たことで

長年抱えていた何かを渡せることが出来たのだと思う。

気仙沼の火災を、当時の長田区のと重ね合わせながら

「復興の工事や廃棄物処理やらで全国から業者や日雇いが来るから、景気は上がるかもやでー」

と、言っていた。この言葉が彼なりの支援だ。


命が終わる順番は誰にも予測は出来ない。

でも人の力でどうにでもなるもの、手を差し伸べる順番は大筋で見える。

有形無形大なり小なり人それぞれ。

皆待っているのである。自分が動ける順番を。

もちろんそこには、たすきやバトンを手にじりじりと待っている震災経験者達もいるのだろうと思う。

彼のように。




だから「何もできない」と嘆くな。

嘆く人の頬を拭うのは、君なんだ。

順番は必ず回ってくる。

焦るな。

2011年3月18日金曜日

物事を自分の中で整理して咀嚼して吸収するとき

一旦それを文字という形にする習慣がある。自分なりに「食べやすいように」纏めるため。

書くことで、心に焼き付け

書くことで整頓される想いに安心したりする。

悲しみも憤りも喜びも

書くことで昇華してきた。




これだけは、自分を裏切らない

というものに出会えた時

自分を再生する術を知ることが出来るのではないだろうか。

人でも物でも行為でも。


生きている浮き沈みの狭間から

感情の極まりから、時を経て少し解放された時

文字一字でも言葉でも絵でもいい。


その時の気持ちをあなたの手でかたちにしてみてごらん。

あなたから生まれた感情はあなただけのもの。

浅はかだろうが愚かだろうが未熟だろうが

かたちにして、晒してみればいい。





そこから何に気づく?






気づいたものの正体は、必ずしもあなたに優しいものじゃない。

痛みを甦らせたり、苦みを再びこみ上がらせたり、やや重い枷であったり

でも決して裏切らない。



書くことで、問い

書くことで、答え

そこに生きているという実感がある。




揺れながらも歩みを進める自身の明日の道筋を

今夜も書き留めよう。

2011年3月17日木曜日

さて、当分の営み

首都圏で買占めが起きてますが、こちらサッポロでも大きい単位の米袋はあらかた売り切れてます。

残っているのは2キロとかのみ。おひとり様なので十分。お米がなくとも

パンも麺も粉物全般があります。大好きなほかほかホットケーキが続けて焼ける嬉しい口実が出来るし。

というか、こういうタイミングで道市民税と溜った国保の支払いが重なってしまい

予想では久々の困窮生活。雪溶けたら歯医者にも行きたいし、これは半年くらいまで続くかな。



まぁでもじっと耐えます。



友人に「なんでそう無駄に我慢強いの!」と言われた東北の血が流れている私。

ちょっと大昔の一番貧乏だったころを思い出せば結構楽なものです。


��月、電気とガスの切れた部屋で、ダウンコートを着ながら寝たり

それでも土曜のゴールデンタイムにはテレビが見たくて(貧乏なくせに)

アパート廊下のコンセントから電気を拝借したところ

共用部分のブレーカーがおもいっきり落ちて1週間ほど真っ暗だったりw



今も真っ暗な寒い場所にいる方々とは比べものにはならないが

こうして食べる分には困らない幸せを味わえていることを確認できるのは

やっぱりそういうタイミングなのかなとも思うのだ。

参考にならない個人的覚書

まさかこのブログでこういうメモをするとは思わなかったけれども

パート先のおばちゃん達が無暗に不安がるので、その説明と自分自身の覚書として書いておく。

数値自体は東大病院放射線治療チームのツイッター記事から転載参考にさせていただきましたが

あくまで小学校低学年レベルの私の数学力とおばちゃん(60代以降)にもわかりやすいような解釈で書きました。

実際参考になさるなら専門家の記事や意見などを是非参考になさってください。

なおあくまで3月15日時点での数値の目安です。刻一刻と変化するものと思われますので

これは違うだろ!とお叱りの言葉をいただいても困りますのでご了承ください。



��*******************************************



放射能を表す単位は

1m㏜(ミリシーベルト)1000µ㏜(マイクロシーベルト)


自然界から放出される放射能は、

世界平均で1年間で2.4m㏜ (2400µ㏜)これは世界各国や地方によって異なります。

��イランのラムサールという所では1年間に10.2m㏜(10200µ㏜))


ちなみに胃のX線撮影一回当たりで受ける量は600µ㏜
これをちょっと頭の隅に置いといてみてください。


そして3月15日時点での東京周辺では、1時間当たり1µ㏜
1日いると24時間×1=24µ㏜

仮に100日滞在すると2.4m㏜(2400µ㏜)

ちょうど100日で1年間受ける量と同量になります。

そこで隅っこに置いていた、さっきの数値を引っ張り出してみましょう。

600µ㏜
つまり

東京100日滞在した時受ける放射量
��天候気候状況で100日同じ放射量はあり得ないですが)
           
月一回のX線撮影のため4か月通う時受ける放射量

ということになるのか、と気づいた訳です。

小3の頃肺結核に罹った際3か月半ほど入院してたんですが

病巣確認ということでこれと同じペースでX線放射を受けていました。

なのでこれに気づいた時、申し訳ないけど拍子抜けしました。

単純に一回のX線でも換算すれば3か月分の自然界からの放射量と同じと言う事ですよね。

正直どこをどう怖がっていいのかがわかりません(;´Д`)

たぶんこの特殊な数値の単位換算がややこしいのと花粉という微妙に抽象的な例えで

混乱しているのもあるのかなと思う。



震災が起こってもう5日

しかし、まだ5日だ。100日じゃないだろう。

あきらめるには早い時間だから今も現場は頑張り続けている。



データ数値:東大病院放射線治療チームツイッター記事より抜粋

今宵のビートルズ

ビートルズの中で好きな曲の一つ。喧嘩した恋人たちの仲直りの曲なんである。



僕らならうまくやれる、うまくいくさ。

そんな背中合わせの温もりを感じる。

どうかこの世に生まれて出会えた奇跡に感謝を。

2011年3月15日火曜日

ここ数日の雑感

ちょろっとですが通常のブログに戻りつつある。

以前歌集を出した際送って下さった歌人さんの安否を出来うる範囲で探していた。

本当に出来うる範囲だけど。

ただ、こうして気にかけている人々がいることで、我々のもっと百倍も心配であろうご身内に

せめてもの心強さを感じていただければ、そして歌を通して繋がっているという事、

その歌に収められた故郷は「ちゃんと在る」という事、実際行ったことのない私の中にも

その風景は存在しているという事。伝わればいいと思う。

そう、その町は私の生まれた大間と似た浜町である。



そういう事や個人的な事もあってか、ツイッターに何気に張りついていたのだけど

確かに様々な情報の波。正しいソースもあればデマもある。感情的になっていきり立つのもあったけど

それだって謝罪のツイートをすぐ出したり、混沌としているけど「荒れた」という印象はない。

情報の真偽は見分けずらいし下手に拡散して混乱させたくない、というのももちろん正しいと思う。

被災地から遠く離れた立場からすれば日常を大事に過ごすことも遠まわしに力になる。

ただ思うのは、泳げないからといって海に入らないのは海の怖さも良さも知ることにならない気がする。

mixiのつぶやきででもあれこれ書いたりしたけど「あ、これじゃ陰口にしかならないわ」と

気づいた。SNSという性質上仕方ないのだけど。

「何のためか」「誰のためか」「それを載せることによってどうなるのか」

時には瞬時に時にはRT元を遡って確認して判断して取捨選択する。

今回の事でそういう部分を学べた。

表立っている現場の人間を責めているツイートはあまり見当たらなかった(某都知事の発言以外は)

情報に惑わされているような世論に対してのフォローツイートが寧ろ多い。

そして見えない思いやりの心も。なごます画像やyoutubeの曲を貼ったり。

言葉はよくないが活用の仕方によっては非常に生産性のある公的文句を呟けるツールでもあるのだ。

��HKの方でもツイッターからの情報収集ということで是非#nhkのハッシュタグをつけてくださいと

呼びかけていた。


現場で体を張っている人間に対し、安全な場所からああだこうだと言う筋合いはないのである。

一方通行の情報しか流さないテレビよりも、自分的にはこっちの方がずっと安心できる部分がある。

そして、早くいつものような平和なつぶやきが増える場所に戻ればとも思う。

携帯から追記
上記の歌人さん無事確認できました!!
よかった。

2011年3月14日月曜日

とりあえず、田舎の様子と母がいる相模原の様子だけは確認できたのでよしとする。

母本人はたぶん元気ということにしておく。というかしておかないと私が疲れる!



しかし今うちにはお酒はない。とりあえず牛乳で。

youtubeのMychannelからいくつか・・・。








そしてライオンキングから



2011年3月12日土曜日

くんずほぐれつ構築

大なり小なり何かを作るにしろ勉強するにしろ子育てにしろ自分を見つめるにしろ

構築するための労苦(無心でやっていれば辛いも何もないのだけど)を

身に染みて判っている人とする会話は手応えがある。

会話が上手くないとかどうとかというより「におい」や「熱」みたいなものでそれは判る。


デザイン事務所や今のバイト先、仕事ではない知人との交流の中で

何かを教えたり、アドバイスを乞われたりした時が幾度とあったが

真面目にやってはいる。しかしどうしても努力をしているようでも絶対的な部分で

この人は汗かいてないな、と感じる人が何人かいた。

その部分に気づくことで判ってくるものもあるのだけど、気づかせるのがまず難しい。

感じたことがないものは判らないからだ。なのでこちらで指摘しても

理解は示すけど「ああ、そうなんだ」で終わってしまう。

自分としても半端な事を伝えたくないので、くじけずw懇々と教えてしまう訳だけども

大抵ほとんどが「そうですね」とか「なるほど」とかじゃなく

延々と持論を述べたり「まぁ、それでもそれが自分だから(一番カチンとくるなこれ。特に『まぁ』が)」

「でも自分はプロじゃないから・・・」とか。


たとえばイラストレーション。

これはあまり美術の成績は関係ない。デッサン力とかあるに越したことはないけれど

むしろコンセプトや発想の斬新さ、プレゼン能力を求められるので、絵しか描いていない人より

基本文章書きとかばりばりの理系の人が描いたりするとものすごく面白かったりする。

その人ならではの人生が投影されるのも即ち個性の一つ。

プロならではの技もあるけど、公務員や主婦でしか表現できないものも確かに存在するのだ。

それをどう表現するかの技術は習えるものではないから自分で試行錯誤して築いていくしかない。

もちろん様々な刺激を求めるのも忘れずに。

自分なりにやり方をあれこれ試して骨を折って、打ちのめされてもそこからは逃げられない。

最初の文のように何事もがっつり対峙してきたならば、「これだ!」と打ち込めるものに出会えば

急激に伸びて行けるものなのではないだろうか。


自分自身を顧みて、あんなこんなの軋みが最近になって大リーグ養成ギプスのように

効いてきてるなあと実感している。

自由気ままな精神も、拘束された経験がないと「空気の読めない身勝手」にしかならない。

いくつになっても青春、とは聞くけどこの精神の筋トレは若いうち限定だと思う。

流れを絶やさないように

ツイッターを使用している被災地より遠方の方、より現地で有用な情報を絶やさないように

確かな情報のみ繰り返し拡散お願いします。

私の住んでいる札幌は今のところ大丈夫ですが、太平洋沿岸部では津波で避難されている地区もあります。

そして日本海側にも注意報が出ました。

相模原にいる母に連絡を取りたいのだけど、なんで携帯に番号をいれてなかったのか・・・(゜-゜)

そして彼女も自分からかけない限り電源を切る人なので(本末転倒や)どうともできないのだけど。

幸い避難場所はかなり多いようなので安心だけど。

��先程、近隣にお住いの方から被災状況確認できました、比較的落ち着いているようです)


次から次へと飛び込んでくる仙台、岩手、それ以外の地域の被災地の惨状。

あまりにも広範囲な被害なので救出作業や救援物資などの支給などなかなかスムーズに行かない様子を

遠方から見守るくらいしかできないのが歯がゆいけど、ツイッターなどのツールからの情報が循環しているせいか

災害を通しての「いたわり」の空気がほのかに感じられるのが救いだけども。

長い夜が続く。

2011年3月9日水曜日

Farewell gift song

たくさん思索した後のクールダウンはやはり音楽。

元合唱部(この記事を参考にw)だったので今でも学生の頃歌っていた曲とか大好き。

「モルダウ」や「アムール河の波」「飛魚の歌」(結構悲しい曲だったりする)

たしかみんなのうたで初めて聞いて「ああ、これ好き」と思ったのがこちら。




出だしのピアノがカッコいい。弾くの難しそうだけども。

そして奥深い歌詞でもあるけど、聴いてても歌ってても爽快感いっぱい。

今月は旅立ちの時期でもあるから、新たな新天地を行くたくさんの誰かに

この曲を餞に。

2011年3月8日火曜日

活字はむしろ好きだけれども読む絶対数はかなり少ない方だと思う。

まず有名作家や話題作は読まないし、古典やちょっと昔の日本文学は如何様にも頭の中で咀嚼できるから

繰り返し繰り返し読んだりする。何だろう、個人的には昨今の小説とかってあまりにも作りこんだイメージを

リアルに読む側に提供しているというか、読み手の入り込む余裕がない気がする。

あまり想像の労力を使わずストーリーに逃避したい人ならば、今の小説って読みやすいだろうなあと思う。

地味に増えていくブログパーツだけど、ブクログの本棚を載せてみた。

普段読んでいる、読んでいた本などが陳列されています。ちまちまと増える予定。






そして何よりも不思議なのは「○○におすすめのこの1冊」とか「子供に読ませたい本」とか

販売宣伝もあるのだろうけれども、何とも言えない違和感を感じる。

本で解決出来るものでもないだろうし、手当たり次第で読んでみてその中から自分の感性に合うものを

チョイスしていく能力ってそれで育つんだろうか。そこまで親の範疇になってしまったのだろうか。

純粋に気持ちが悪いなと思うのは私だけだろうか。

心の豊かさを育てていきたいというのは判るけど、庇護と拘束の合間のような居心地の悪さだ。

子供の為というより、そういうマニュアルで親自身が安心したい部分があるのかもしれないけれど。

いつぞやの「買ってはいけない」というシリーズの本のように「読ませたくない本」とか

あったらどうだろう。何となく、興味をそそられるような本ばかり集まる気もする。

いやいや

歌友のブログやツイッター、マイミクさんの日記の一節からよく思索のきっかけとなったりする。

で、今回はあくまでそのきっかけを考えさせて下さった方宛の記事風味なので

いつも以上に意味不明わけわからん系ですがw読み流してくださいませ。




「現実を知ることと現実を生きることの違い」


昔、これに近い感じの事を舞台と客席になぞらえて考えたことがある。

演劇や大きいホールのコンサートは好きなのだけど、いつも疲れて終わってしまい

感激も台無しになることが多い。なぜか。


私たちは客席に座っている。

そこから伺う舞台の上はもう生身の人間が演じていても虚構の世界だ。

客席に在る自分を意識しながら、精神だけは舞台の上の虚構に触れようとする。

激しくその間を行ったり来たりして、それで疲れてしまう。

虚構にだけ集中すればいいのにどうしても客席というリアルにも意識が行ってしまう。


それでふと思った。

現実を知ることしか出来ないというのは、客席から伺うのと少し似ている気がした。

熱気は感じても、その流す汗や躍動感は自身の実感から遠い。

憧れはあるけども物理的には無理なのは重々承知。

あくまでも客席から眺める人間に過ぎない。



自分は朝から晩まで働いて、言わばスタンダードな「現実を生きる人間」ではあるかもしれないけど

これは後天的に学習していったもので資質ではない。

基本絵を描いたり空想したりが好きな不思議ちゃん寄りなのだけど、それにも関わらず

現実や状況はそれだけを私に課す余裕はなかったというだけの事だ。

実際必要に迫られて「現実を走らさせられてきた」けれどもそれで頭の中でしか物を考えてないことを

��若干スパルタ風味で)学んだ事が出来た。

そのうち自分の意志で「現実を生きる」面白さと「現実を知る」非生産的な豊かさの間を行ったり来たり

することを選んだ。ようやくそのバランスのとり方を両方やってみてわかるようになったのだ。


で、思うのですが

どちらかでしか生きられない歯がゆさ、諦観、それこそが詩だし歌ではないかなと思うのです。

生きられずとも逃げないことは出来る。

そこから生まれたものが「現実を知ることの意味」になる。

どっちがどうとかじゃなく、相対的に考えることでどちらの意義をも吸収して

豊かであれ、ということじゃないかなあと思うのです。

2011年3月6日日曜日

こころの空高く

長い昼寝から目が覚めると夜でした。

そしてブログに書こうと思っていたネタも忘却の彼方・・・・w

最近発見してなつかしい~と思った曲を貼っておく。




ミル・マスカラスの入場曲(そして日ハム二岡のテーマでもある)でお馴染みのSky High

自分が小学生の時はプロレス中継はゴールデンタイムだったのだ。

空中殺法リアルタイムで見ましたよ。(そして初期のガンダムも然り)

この曲をカバーした日本人歌手っているのだろうか?

ハイトーンボイスで誰かいないだろうか。歌う方も聴く方も爽快な気持ちになる。

松崎しげるだとトム・ジョーンズのイメージがあるなあ・・・。

2011年3月5日土曜日

歌いながら一緒に野を行くような

今月の特集はこどもたちの五行歌。

舌足らずの呼吸がふわりと心に降りてきて、お姉さんは絶賛垂涎中です。

小学校に上がるころになると、ふっと分別が付くのか収まりのいい歌になってしまうけど

そういう意味ではくどうゆうすけくんの自由さが心地いい(4歳の言う昔って・・・w)


パンとあこがれさんの佳作。

心が動かされ感じて、自分なりのそれに対しての感動を発露があるけども

ふと自分の表現不足、というのはどういう時に気づくだろうと思った。

私とかは言葉という形に残している分、時間がたったのちにそこらへんが判ったりする。

あの時は歌そのものに自分が感激してたりwしたのに、よくよく見るとそんな偉いものでもなかったり。

歌手や役者であれば録音とかVTRとか見直し聴き直しとかからかなぁ。

感想を他者に求めてばかりという人もいる。自身の技量を突き放して見れないとかではなく

突き放す距離感の取り方な気がする。

時折このブログにも出てくるヨミガタリストさんはその距離感の取り方がすごく上手い。

まっとうなパフォーマーさんやアーティストって大体そうだし、プロでなくとも

普通の生活を送りながらも、表現を極めつづけたりしている方もいる。

詩人だけではなく何かを作り上げる基本のキを端的に歌った作品にいろいろ考えさせられた。

こういうふうにどこまでも話がふくらみ自分の想いを重ねることで様々な思索の層を生むのが

個人的な見解だけどいい歌だなあと思うのである。

2011年3月4日金曜日

逆説の願い

死のうと思っていた。
今年の正月、よそから着物一反もらった。
お年玉としてである。着物の布地は麻であった。
鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。   

太宰治





何かもう後ろから延髄蹴りでもおみまいしたくなる一節だけども。

世の中の文学女子は「太宰派」と「アンチ太宰派」に大体分かれている気がする。


彼にしか感じ得なかった心の闇。最期は自身その闇へと突き進む道を選んでしまった。

恵まれているゆえの負い目引け目はわからないけども、物に対して生死をかけた心のよすがを求めるなんて

ほんとうに追いつめられていたんだなというのは実感的に理解できる。




一人では生きも死にもできない弱さ。

人となりはどうであれ、社会に生きる人間のどうしようもない業の部分も

葛藤も余すところなく描いている。

脆弱で普遍でだから時代を越えても新しい。

死にたいと思ったことがない人は、きっと猛烈に生きたいとも思ったことがないのなら

きっと心底生きたかった人だったのだろうなと思う。




ちなみにうちの母は案外好きらしい。(「人間失格」を昔勧められた記憶が・・)

好きな歌手は沢田研二(ジュリー)そこはかとなく共通点があるような・・・。

くらしに息づく言葉たち

一定の年齢になるとなかなか目的の言葉が出てこない。

そんな時に「あれ」「これ」「それ」などの指示語が幅を利かす。

その一定以上の年齢の方が多い私の今の職場(ビルメンテナンス)。

「えーっと、ほら何て言ったっけ、ほらあれ!」

「ああ、○○ですか?」

「あー!!そうそう!さすが脳が若いと違うわぁ」

こういう笑い話ですめば楽しいのだけど、「あれ」と言われたら「ああ、あれの事か」と

その要求に即時に応えなければ仕事が回らない、張り詰めた現場も昔いたこともあった。

更にその上を行くのが二重の発展形で「アレをソレして・・・」とか「コレをアレにして」とか

何だか禅問答の極地になったり、悲しいことにそれが何のことか理解できるようになったりするのである。


「詩乃ちゃん、アレ頼んだよ。」

「ああ、アレですね(・∀・)!!」

「そうさ、アレよ( ̄ー ̄)ニヤリ」


こんな会話が成立するのだ。楽しいよ、年取るのってw


さて、北へ行くほど寒さで口が回らなくなるから方言でも単語の文字数が短くなるというのは

本当なんだろうか?(イヌイットの言語は指示語だけでも30種あるそうですよ。)

出生地が青森である私の田舎では「ケ」という1文字で「食べろ」という意味になる。

ご存じだろうか、一般的に青森の方言といえば津軽弁と南部弁に分けられているが

何気に「下北弁」というのが存在することを。その名の通り下北半島一帯で使われている。

しかも同じ下北でも隣町へ行くと微妙にニュアンスが違ってきたりと結構多種多彩。

下北弁の特徴的な言葉
http://simokitaben.web.fc2.com/about/spe.html

感嘆詞の「じゃじゃじゃ」とか、ああーうちのばあちゃん使ってたなあと感動したのを覚えてる。

私自身は標準語で育てられたせいか(下北弁はヒアリングのみ)時折母や叔母が話す様子を伺うたび

土地の言葉を持つことの生のルーツというか、その土地に生まれてきた確かさ、みたいなものに憧れている。


たぶん自分の言葉、というものを確立できてないからなお思うのだけど。

どんな言葉に取り巻かれて生きてきたのか、その時代背景やメディアも含め

それによって得た利点、欠けた部分など考えてみるのがいいかもしれない。

2011年3月2日水曜日

真摯なる貪欲

細々とやらねばならないこと、やりたいことが増えてきてる。

でも人との交流もしたいなと思えるあたり、仕事に逃避していた20代の頃よりは

すこしはお利口になってきているのかと思う。


自分がやってきて挫折したせいもあってか、本当に純粋な気持ちで好きなことを仕事にし続けるというのは

つくづく難しい事だ。

途絶えさせていた「つくる」部分を最近またやりたいなと考えている。

でもそれは、仕事としてじゃなく、もう一度それを心底楽しむため。


貪欲、という言葉のアグレッシブ感は好き。

しかし思うのはいくら「あれこれ吸収したいんです、自分の糧にしたいんです」と思っても、

「ハラヘッター、何カオクレー」というのを前面に出さないと周りは何もくれない訳で。

キラッキラにアピール(時折いる「教えてちゃん」ではないよ)しない事には変わらない。


周囲にもイベントを主催している人たちはいますが、いい意味で貪欲さをアピール出来ている人の周囲は

良い感じで人が循環している。内々だけで固まらないから活性化していて、次々と新しい流れが出来たりする。

そういうのを感じるとすごいなと思うし、そうありたいと思う。


自己を深めるのもそうだけど、「自分の周りにいる人たちの良さや素晴らしさをどれだけ雄弁に語れるか」が

本当の自分への豊かさに繋がるのではないだろうか。

付き合い下手は変わらないけど、それでも自分にかかわった人に対しては真摯に向き合いたい

��というか、それしか出来ない。)