2011年5月31日火曜日

これ聴くとほろり、とくる歌がいくつかある。




原曲はヴィヴァルディの「四季」より~冬~です。





かぐや姫バージョンで。念のためですが私リアルタイムでかぐや姫は知りません。

そこまで年齢はいっておりませんw

お父さんってこんな感じなのかな・・・(´ω`)

親子ものに弱いんだろうか。




原曲はスコットランドの曲。

小樽市花園町界隈の横断歩道のメロディが今も変わっていなければこれですw

故郷への思いを歌っているのだけど元の原曲の歌詞はウフフな内容のようです。

wikiで調べてみると面白いかも。

これも含め明治の唱歌の七五調のたどたどしさと生真面目さって聞くたびに愛おしい。

今もいる自分の中の「子供」の相手を優しくしてくれる歌でもあります。

2011年5月30日月曜日

こそっと懐かしチョイス

一昔も二昔も年配の人か私しか喜ばない今宵のエントリでございますw

私の親世代の人、ちょうど1960年以降から1970年代が青春時代だった頃は、戦後から始まったNHKのど自慢などの歌謡コンクールや

グループサウンズの登場などもあって歌謡曲の幅がぐんと拡がりを持ってきた感じがある。

時代の変遷を経ても長く活躍し続けている方も多い。

群雄割拠の時代で本当の意味で歌手がプロフェッショナルだったとも言えるのかも。




「うっかり八兵衛」の役柄しか知らない人は元歌手だったということに多分かなり驚く。

いつだか偶然見ていたNHKか何かの音楽番組でこの方がゲストで出ていて(まだ八兵衛役で水戸黄門に出ていた頃)

、その時はラテンの曲を何か歌っていてあまりの上手さに物凄いびっくりしたΣ(゚д゚lll)覚えがある

まさに自分がうっかりだったという話。




この人もまたオーディション出身だったのですねぇ。

しかしこれを歌った時は20歳と少し過ぎた頃とは考えられないほどの成熟度・・・。





亡くなる2年前ほどの収録。うーん艶のある声の80歳・・・。

戦前から活躍されていた方は大体音楽学校できっちり歌唱を学んでいて、

そこが長らく現役を続けられる基礎となっている。(20代と60代の肺活量平均とか調べてみると

やはり1000ml近く落ちるようだけど、それでも補って余りある(´ω`)

まっすぐ前に声を飛ばす意識で歌う、って今のアーティストではいないのではないかなぁ。)



昔から歌っていた歌手が大戦を乗り越え戦後の混沌の中でも、この藤山先生を筆頭に

変わらぬ歌声を聴かせてくれる姿は、見えない明日を進む勇気をきっと聴く人に与えただろうと思うし

こういう方こそが「あえて今、自分たちが歌い続ける意味」というのを身を以て

追求してきた大先輩なんだなあと思った。

2011年5月28日土曜日

正しき言の居心地のわるさ

仕事へ行く前に本屋で雑誌を立ち読みしていた。

段組みと文字バランスの読みやすさと写真の美しさで、刊行されてるときは必ず目を通すくらいに好きな雑誌。

その中の一文に、ふとひっかかった。つまりは自分たちの作り出したものが生んだ災厄は

自分たちで後始末をしなくてはというニュアンスの文であるけれど(もうあちこちでゲンパツゲンパツと

口を開けばその言葉に正義の常套句を付けて熱く語られることに辟易している。

話題に出したくないというよりそれについて的確に建設的に語っている訳ではない人というのが多すぎるんだ。)


至極正論で、元来どう対処すべきかを簡潔に語ってくれている。



ただ、何かが違う。思いの重石のようなものが。何でだろう?と思った。



で、こう考えてみた。

もしも自分がこの立場になって同じように当事者ではないけれど逡巡し考え、こういう考えに

至ったという事を話して文字起こしされたものを、誰かが読んだとする。

その誰かも多分似たような感覚を感じる気もする。


もちろんその事に関してどうこうということではないけれど、あくまで文字という形として

改めて読んだ場合、当事者ではないという絶対的厚みの違いと距離感がものすごく伝わってくるという事なのだ。

※でも引っかかったのはその文だけで取材された方は確固とした意志を持った魅力的な方でした。

それを差し引いても今回の記事はどれもおすすめなのでお金入ったら買います、とフォローw




そして自分を鑑みつつも省みつつ今、ブログを書いていたりする。




大いに主義主張を語れるこの場所であるけれど、むしろそういう考えに何故至ったかを

堂々巡りになりつつ頭ををもつれさせつつつ、そしてずかずかとうつくしき正論で

��これって時には凶器だよな)踏み込むのではなく

脱いだ靴をちゃんと揃えてお邪魔するくらいの姿勢で言葉を紡いでいくというのが

読み手に対して誠実であるよなあと思った。

五行歌脳で紋切り思考になりがちなのは意識していかないとなあ、

うーんうーん、気をつけねば―と夜は更けていくのであった。

2011年5月25日水曜日

歌友がツイッターで呟いていた「想いを固定してしまう言葉の怖さ」について考えてみる。(大して深くもないですが見当はずれな感も多々・・・)

なのでそれに対しての個人的見解をつらつら書いていくという、いつもの意味不明さなので(当人宛のスタンスです)

今回は畳み記事です。覗いてみても構いませんが本当に意味不明なので(;´Д`)

代わりにyoutubeからかわいい画像貼っておきます。(なんのブログなんだかw)



形状記憶合金まではいかなくとも、想いの形状を再現しているものが言葉と思っている。
なので言葉そのものは「記号」「ツール」という感覚。仮面であり張りぼてでありそれはどんな装飾をしようが
どう作り変えようが自由だけど想いがみちみちに詰まってやっと、その言葉の意味になりえる。
違ったらごめんですが何となく言葉そのものの怖さというより、言葉を固定してしまう、そして言葉であやふやにしてしまう
自身に対する歯がゆさなのかなあと感じた。(この2方法は違うようでいて同じである)
文字でも絵でも話すことでも伝えられない表現しきれない、でも固めたくないけれど形にしたい
もどかしさの根本的な正体って何だろう。
個人的に思うのはそれはいくばくかの「自我」なのではないだろうかということ。
どっぷりと味わいたい、でも誰かと少しは共有もしたい。
自分だけの楽しい時間、でもそれでいいのだろうか。
平穏な日常の中で満たされてはいるけれど閉塞感もないこともなくて。
それでも少しずつ様々な人や創造物と触れあって、ふやふやっと目覚めてきたものとそれを表現する上での葛藤・・・
��と、ここまで書いてきて思い当たる人が結構周りにいることに気が付いた。あんな方こんな方、しかも共通点もある)。
ふんわり毎日を過ごしているようで(そう見える)内なるささやかな揺らぎを抱えている。
その揺らぎこそ、まんま歌じゃないかなと傍から見れば思うのだけど当人が自覚しないと
形にならないのだろうしなあと傍観するしかなくて。
想いを解き放つ、その段階に踏み出すまでは怖いかもしれない。
踏み出さない選択ももちろん出来る。いつまでも同じでいいのならそれでいいとも思う。
でも
見る世界が狭ければ、言葉も狭まる。
その中に収めようと思うほど、形だけの言葉になる。
迷うほどに、言葉は無味無臭になる。
もういいや、と放り投げれば、何も伝わらぬ言葉になる。
言葉を穏やかに拡げるのも、つまらなく収めるのも、綴り手次第なのかなと。
自分だけじゃなく関わりあるすべてのものをひっくるめて、あなたはあなた自身を全うしていますか?

2011年5月23日月曜日

昨日の歌会で、久々に東京から戻ってきたT水氏も

「やっぱり、震災の歌は書けないね。僕らがテレビで見ているのと実際遭遇した人たちではやはり違う。」

と言っていた。心の中で大いに頷く。


遠くから垣間見るしかなかった今回の事で、私自身、というよりものの見方や歌への向き合い方に

なにか変化はあっただろうか?と自分に問うてみる。




とにかく様々な人や知己ある方の惑い悩む様子や見えない負の部分を、そして大きな災害というテーマで

全国民が考え動き、論議し、労わり合う様子をSNSやツイッターなどで垣間見ることで

私自身もの思ううえで考えにも及ばなかった視点や深み、拡がりを発見出来た。

ただ、自身にぴったり添う「真理」を滲ませる言葉はそこから掻い摘めることはなかった。

情報は本当に手段でしかない。そしてそれは心の安心や安全を約束できるものでもない。

耳触りのいい言葉やこれぞ正義だと掲げる美辞麗句もある。けれどそれを「投げつけられたような違和感」を

感じられるのはどれくらいいるだろうか。情報そのものじゃなく言葉に躍らされた感がある人を見るにつけ

「それって歌を通して言葉に接している人としてどうだろう?」と思う事もあった。

自信を省みてもっともっと「筋金入り」で向き合うべきだと肝に銘じた。

で、大事なものとそうでないものの見極めはいよいよはっきりしてきた感もある。







歌に対する姿勢では、(前記事~書くことで)で書いたこととさほど変わらないけれど

「やはり自分自身のリアルな実感が大事」だと思いは強くなった。

それは表現するスタイルが写実でも虚構でも同じことだと思うのだ。

手に触れる半径分でも(人によっては庭の花でも本でも子供でも)かけがえないものに対しては大事に向き合いたいとも。


そして、限りなく自己完結な自分の歌ではあるけれど、ふと読む側への意識が出てきた。

普段向き合っている真理には目を離さないけれども「手」だけは差し伸べているといった具合に。

繋がりという重要性を図らずも感じた部分もあるかもしれない。それが多分「歯車」の歌が生まれたことに繋がる気がしている。

震災前だったらまず、ああいう発想は生まれなかっただろう。

基本誰かのためじゃない自分のためだけの詩歌であるけれど、手だけ、手だけ出しておくことで

私の世界が少しか変化するきっかけになるかもしれない。その手を誰かが握ることでまた違う拡がりが

出てくるかもしれない。(やさしさに非ず。そういう意味で貪欲になってきたという事で)

繋がることで「互いの深い部分を少し潤わせる」そういう可能性を私自身にも見つけ出せた事は大きかった。


ちょっとこれは他の歌をしている人に参考までに聞いてみたいなと思う。

・ものの見方や思い方の変化はあったか。

・歌に対する姿勢はどうか。

お暇な方はコメント欄にでもどうぞ。




涙や憤りは、私たちが代弁することで減ることはない、とすれば歌うことはただひとつしかないと思う。

流されずその人それぞれの「ただひとつ」と向き合うしかないのではないか。

他者の辛抱強さに目を見張れるのなら、あなた自身の弱さを見つめなくては。

世の不条理と同じくらい、あなた自身に憤らなくては。

当たり前だと思っている平穏を、より深く大事に描いていかなくては。

2011年5月21日土曜日

日々讃えるもの

さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)
(1974/10/25)
レイモンド・ブリッグズ

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子どもの頃好きだった絵本のひとつにこの本がある。

この中でクリスマスプレゼントを配り終わったサンタさんがシャワーを浴びながら

歌った讃美歌「天(あめ)にはさかえ」がこれまた好きな讃美歌「Hark! The Herald Angels Sing」の

日本語バージョンだったことを知った。三十年以上経ってリンクした偶然。






日本語版はこちら。こちらの方がなじみある人は多いかも。

1.「あめにはさかえ み神にあれや
つちにはやすき 人にあれや」と
みつかいたちの たたうる歌を
ききてもろびと 共によろこび
今ぞうまれし 君をたたえよ

��.さだめたまいし 救いのときに
かみのみくらを はなれて降り
いやしき賎(しず)の 処女にやどり
世びとのなかに 住むべき為に
いまぞ生まれし 君をたたえよ

��.あさ日のごとく かがやき昇り
みひかりをもて 暗きを照らし
つちよりいでし 人を活かしめ
つきぬいのちを 与うるために
いまぞうまれし 君をたたえよ




幼稚園がプロテスタントだったせいもあり割と讃美歌や教会は身近だった。

そして私自身やうちがキリスト教でないにも拘らず、どういう訳か昔から

うちに旧約聖書に置いてある。何であるの?と昔聞いた覚えがあるけれどもどう返って来たかは定かではない。

という事はたぶん母が買ったのかもしれない。

自らの本音や弱い部分、深層に触れることに関しては口が堅いからきっと理由は言う事はないだろう。

そこは何となく察することが出来るので特に聞くこともないし本人もはぐらかす可能性が高い。

幼稚園で頂いた新約聖書と共に並んで今は私の本棚にある。


クリスマスとは関係なしに口ずさんだり鼻歌とか讃美歌率が高かったりする。

何よりわかりやすくて覚えやすいメロディー、個人的には神様に向けてだけではなく、日々の糧や

生まれ来る命や営みへの感謝を込めた生活歌だと思っている。

わたしたちが何気に「いただきます」「ごちそうさま」を言うような感覚で

アメリカや西洋での食事前の「祈り」は暮らしに密着した習慣であるように。


とか書きながらあれこれ見てたら私が通っていた幼稚園のブログ(隔世感がありますなあ)を見つけてしまった。

小樽中央幼稚園

結構緑豊かでしょう。庭がまんま小さな森で私の緑好きルーツはきっとここから。

あまりの変わってなさにじーんときた。ちょっとだけこの頃に帰りたくなった。

2011年5月20日金曜日

Spring ephemeral

春先に咲いてしばらくして花を落とし、あとは地中で球根状態で冬を越すという草花の総称を

Spring ephemeral(スプリング・エフェメラル)というのだそう。

そういえばその時期は小樽に住んでいた頃毎年あった登山の時に(小樽の小学校では毎年の行事)、それらの花々、

カタクリやエゾエンゴサクを必ず見かけた覚えがある。

他の生態系との関連性もなかなか興味深い。→wikiページ

南側だとこういう光景はめずらしいのだろうか?春と言えばわたしはタンポポとかよりもこういうイメージが強い。

湿った土に木漏れ日の下一面に咲いているカタクリなどの群生。

どこからか湧水の音も聞こえてくる。土の中からかのような木の中からかのような。




永い眠りの時間に備えて短い春のぬくもりを精一杯溜めこんで咲いている花々に

なんとなく重なった歌を万葉集から見つけた。


冬こもり春咲く花を手折り持ち千たびの限り恋ひわたるかも(柿本人麻呂)


北の春の短さは、きっと儚いだけではないよ。


待つ尊さ、待てる強さを知ればこそ、この地で過ごす季節を改めて好きになる。

2011年5月19日木曜日

営みを紡ぐ手たち

誰が偉いとかではないが、実際「その場」で体感して実感したという時間と

その時間の途方のなさへの絶望と、それでも待ってくれない現実とを噛みしめつつ

再生の道を拓こうとしている人々がいる。

その大多数が目立たぬところで人の営みを支える手を持つ人たちだ。


漁の網を繕う漁師の手。

流されてきた瓦礫の木に鉋をかける大工の手。

赤黒く焼けた土色の指でつぼみの世話をする桃農家の手。

休むことなく動かし続けている手の雄弁さは、どんな遠方からの他人事の空論よりも重い。



その確かさで日々暮らすその人たち自身の営みをわたしは尊重したい。

それぞれの死生観の領分の向こう側から。

何を言いたいかというと・・・
もうね、皆さんびびりすぎ、論理的に考えも出来ずに憶測言い過ぎ。
いっそそんなに生きるの怖いんだったら( ゚Д゚)<氏ね!と言いたいです。
満たされたあったかい場所からあーだこーだ言う暇があるなら建設的にプラスになることをとっととしやがれと。
勤め人なら働いて、遊び人なら遊んで経済を回して、
うたびとなら被災された歌人さんが改めて五行歌が自分に寄り添ってくれるんだ、と
心つよく思えるような良い歌を書くと(自分で書いててえらいハードル高く上げたなオイw)
今のところ知っている五行歌関係の方にはそこまでテンパった人はいなさそうなのが安心ですが。
ふんとにもーヽ(`3´)ノなこの頃です。

2011年5月17日火曜日

どしゃめしゃの勇気を

今宵もサンボマスターをお送りしますよ。

ベストをヘビロテしているのだけどYOUTUBEに上がっているLiveの様子とかも

飽きずに見てしまう。

表題のようにやぶれかぶれでも進む勇気が必要な人は、きっと今多いと思うのだ。








ところでこの「どしゃめしゃ」ってどこの方言なんだろう。調べてもわからず・・・。

2011年5月16日月曜日

縫い綴ることば

札幌駅から大通までを繋ぐ地下通路。札幌駅の入り口地点に、アイヌ文様を模ったタペストリーが

展示されている。アットゥシ(民族衣装)や工芸品、祭具に及ぶまで施されている文様は、思いを込めて

縫うことによって魔を祓う魔除けの意味合いを持つ。

11-05-14_002.jpg    11-05-14_001.jpg

携帯の写真なので精度が・・・。

今でいうところのチェーンステッチ、アップリケな手法で縫われている。ちょっとしたものでも

自分でもできるんじゃないかな、と思ったけれど、たしかこの見事な線対称な模様

下書きとか元絵とか一切なしで直接布地に針を入れていくと聞いたことがある・・・(汗

祖母から母、その母から子へと受け継がれていく技術なのだそうだ。


自然や神様をテーマに縫いこまれた「想い」の息づかいにつられて

数分ほどタペストリーを見つつ、箇条書きながら即詠したものを

一首だけ置いてみる。即詠なので推敲なしですいません・・。

この写真とは違うタペストリーを見て詠ったもの。



湖沼

見えざるものに触発されてまた違う世界を垣間見れるから、こういう即詠は楽しい。

でもその逆に自分の歌で誰かのイマジネーションのきっかけになるということって

あるんだろうかとちょっとダークになるけれど(´・ω・`)

札幌市民の方、何かのついでに通りかかったらトートカムイのタペストリーを探してみてくださいませ。

これだけではない他の作品も見応えありますよ。

2011年5月15日日曜日

考え続けることをやめない

考える事が昔から好きだ。

様々な事、これからの事、答えが一つじゃない事は特に。

しかし答えがすぐ行きつく事に関しては反射的に「決める」

女一人これから生きていく分にはどうにかなってきかたらこれからも「どうにかする」

明日なんてわからないから今日踏む足元だけを影も込みで「見つめる」

二元論は「あてにならない」答えを持っていると言わんばかりの人は「信用はしない」


割とそういう落差があるのできっと人によっては付き合いづらい部類に入るだろう。


とかく考える事がぐっと増えた今日この頃。

取捨選択、わたしの暮らしのリズムをとるが如く、あれはあれ、これはこれと思考を仕分けする頻度が

多くなってきたけれど生きていればこういうこともあるさと普段通りにやっていきたい。

煩雑になるほど考える手間が増えて、しかしそれは確実にわたしの思考を磨いてくれるものだ。


ことばと暮らしを密に重ね合わせた先に見えてくるものは何だろう。

何故家で作るカレーライスはついついおかわりをしてしまうのだろう。

時々他人に考えさせて、自分ではものを考えようとしない人がいるけれど何故考えようとしないのだろう。


わたしは考え続ける。


あのひとはどうしているだろう。

全国歌会の休憩時間通りすがりで向こうから挨拶してくださって嬉しかった

透明な野草のゆらぎのような歌を書く人。

心には掛けていることを伝えてもたぶんわたしの言葉は上滑りする気がするし

日々を揺らがさぬように暮らしている様を想像することしか出来ないのだけれども。



でも



わたしは考え続けることをやめない。




気に掛けることが、天上から垂らされた糸のような儚さであっても救いの一筋になるなら。

グルーヴ・ライフ

ツイッターでチャカ嬢(チャカ・カーンにあらずw)発見!あまりの懐かしさにちょっと感動しました。

チャカと言えばPSY・S バービーとかBOOWYとかの頃に、高野寛とともに聴いたりしていましたよ。




特に好きな曲。

好きだけども分かり合えない寂しさともどかしさ、彼女たちだけではなく

結構他のアーティストの曲も心の襞の細かい部分を書いた歌詞が多かったような。


懐かしい再会とともにまた身に染みるつぶやきをのこしてくれていた。

生まれ変わり続けて皆生きていく、皆同じ。


人は歩く、心臓はリズムを打つ、肌は28日に一度生まれ変わる、
眠っていても一定のリズムで呼吸をする。。
人は存在そのものが音楽。自然のグルーヴ。
普段の自分をグルーヴさせられない人が
音楽してる時だけさせようとしても出来ない。
一瞬出来ても続かない。


2011年5月12日木曜日

Goodnight song



その土地に住む者だけが纏える風ってあるよね。

沖縄の夢を見ながら眠ろう。

2011年5月9日月曜日

汗をかかぬ文字

昔の職種(イラストレーター)の肩書きを、実はあまり好きではなかった。

妙によそ行きの服を着せられているようで、好きで始めた事ではあるけれど

そう呼ばれること、もしくは必要があって名乗らなければならなかったことに

すごく違和感を覚えながら仕事していた。



そのうちあれこれあってすっかり足を洗って、まさに浮き草状態wで現在に至るのだけれども

好きでやっていた仕事より、別段思い入れのない今の仕事の方がある意味肩肘張らず気安さと

風通しの良さを感じている。もちろん仕事だからいい事ばかりではないけれど、体を動かして

汗をかいて、得たものの重さや確かさがじわじわと自分に染み込んでくる感覚は

机に向かって楽しむのが仕事だと思って絵を描いていた頃にはなかった。

「はたらく」という深い意味を、固執していた「好き」なものを棄ててようやく見えてきたのだと思う。


つくづく不器用である。

前いた業界の人から見ればきっと「落ちぶれた」部類に入るのだろう。

それでもわりかし自由な立ち位置でマイペースに現場で作業しながら、日々の移ろいに心を預け

もの想う、という暮らしの中で私という人間の生きるリズムと向き合えることが尊く思える。


ちなみに表題は「カタカナ」考えてみれば自分の考えていたはたらく、というイメージが

イラストレーターと結びつかなかった部分があったのかもと思ったり。

ドライバーより運転手、ミュージシャンより音楽家、コックより料理人

不思議と漢字の言い回しだとその職種であることの自負すら感じさせる気がする。



私はどうだろう。

職種というより私自身であることに違わないという意味なら、自分の名前になるのだろう。

石垣りんの「表札」の詩のように。

想うこと、書くことと私の暮らしをもっともっと重ねていければと思う。

2011年5月7日土曜日

手から手へ繋がる季節

ようやくサッポロでも桜が開花。肌寒い中風に揺れつつ。

携帯からだけど気前よくどーんと貼ってみる。

292197769.jpg

そして梅。こちらでは桜と共に一緒に咲く。

292290070.jpg

少し近づけば香り立つ、薄曇りの空気になおそれを感じた。


南の方に住む友人から始まる桜の便りを愛知や東京を経由して北上してくるのを楽しみに待つのが

北に住むささやかな楽しみ。

縦に長いこの国に住んでいる実感を感じつつ、この季節だけは

あたたかい場所から、順繰りの手渡しで届いてくるような気がしている。



留まらぬ時間のかなしみも儚さも、そこに意味があると信じたいように


届いているよと、どうすれば伝わるだろう。


次咲く季節を待ちながら考え続けていこうと思う。

2011年5月6日金曜日

そこに在って見える視線

被災された歌人さんたちの特集。

その場にあった状況がどれも目に飛び込んでくる。ああ、こういうことだ、と。

其処にいなければ、どんな慰めもまやかしで、心配りも欺瞞でしかない。

これは簡単に「形あるものはなくなるけれどまた違う形で蘇ってくる」なんてどの口で言えるだろう。


まさに子供さんを抱いて高台へと駆け上がる、今まで見たことのない切羽詰った呼吸の工藤さん。

不自由の最中でも善意の在り方について鋭く見据える中野さん。

どの歌も根底にあるのは、この状況において自らの出来る事、生きてゆく道筋を模索しているという事。

歌うことの本質すなわち生きることの理由はそこなのだと思うのである。




この事実に、当事者になりえない私を含めた皆が、黙って強く打たれればいい。

そこから何を思えるかだ。

2011年5月5日木曜日

天津神・国津神

神社の相性というのはやはりあるらしい。

毎年初詣に行ったり厄払いにお世話になっていたのが弥彦神社。本社は新潟にあるそうで

��天孫の天之香具山命が祀られている。)新潟からの開拓者有志で作られたよう。

たまに誘われて北海道神宮に初詣に行った時、何だか微妙に落ち着かない気分になる。

生まれた時の初七日のお参りに行った神社が縁のある神社と聞くけどもそれとも関係あるんだろうか。

生まれた土地・・・あんな小さい町でも神社が3つもあるのだけどそのうちの一つに春日神社

��天児屋根命を祀っている。)そして稲荷神社もあってやはり由来は同じ天津神系。

そういうのもあるのかなあと少し納得。



昔伊勢神宮の外宮を回った時もある種の心地よさがあった。

神社自体の静寂さは漠然と好きだったけれど、神道と土地との結びつきを強く感じた伊勢に行って以来

その気持ちは確かになった。

ちなみに思い立って行くにしても、何かの都合で誘われて行くにしても

それこそが「お伊勢さんに呼ばれる」ということなのだそうだ。

また「呼ばれたい」ものだなと思う。

思えば昔行った後数年、様々な転換期でもあった。ひとつのそれこそ禊のような。(厄年も続いたし)

次行く時は、また何かが自分の中を回り始めるのだろうか。

その折泊まった神宮会館の食事についてくる箸袋に書かれている歌がこれ。

本居宣長作とは今初めて知ったですw





朝宵に 物くふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人  本居宣長「玉鉾百首」より

夕闇の中の灯

連休にもかかわらず、何もすることもなく。

質素な休みはたぶん6月中までは続くと思われるので・・・その分7月8月のjazz週間は楽しもうと。

懸案の秦さんステージはあっちゅー間に完売!だそうです!(゚д゚)




知る人ぞ知る名曲「ブレーメン」

ようやくここに貼れました。貼るのを少し躊躇していたので。


壮大な管弦楽とのコラボ(あの透明板の仕切りは防音?なのでしょうか)ですが

バックコーラスのザ・サスペンダーズのハーモニーが聴きづらいのがちょっと残念(・ω・`)

くるり専用のコーラス隊のようです。

渕上祥人、遠藤由美、岡崎昌幸(スタレビの方なんですねえ)ちょっとお名前伺ったことのある方もあり

岸田さんもいいんですが「コーラス隊だけ聴いてみたい・・・」と少し思ったりしました。


喪失と再生。そこに優しく降る雨。

気持ちが弱った時やはりこの曲にたどり着きます。

人が己を見失う時

多々ある情報の中から、有益だと思うものだけ選んで指針とする。

けれど、有益と思う=自分の求めている100%の安心材料、という図式を

無意識のうちに組み立てている。


猜疑心かひねくれているのか(たぶん両方)数ある情報の中で、自分にとってものすごく都合のいいものを見つけた時

一瞬疑ってかかる癖がある。何かに依存する者はその凭れかかった壁の下敷きになる可能性だってある。

情報だってそうだ。鵜呑みに信じてしっぺ返しを食うのは同じ事。

あくまで自分の生活環境や出来る範囲、実行不可能な事を鑑みて取捨選択していき、

暮らしの歩幅を変わらすことなく生きていく。今はもう、もらい泣きしたり憤りに感化されたりという状況ではない。



何故人は、自らの足元を冷静に見据えることが出来なくなってしまうのだろう。

今大きい災害が起こっている場所は別として、当事者ではない遠く離れた地に住んでいる人たちが

割とそういう状態なのが不思議だ。「信用できない」とか「裏切られた」とかいう声を聞くたびに

「行政とかマスコミとか信用という類のものでもないのに」と思う。

こっちから「すいませーん」と窓口に行って諸々の手続きをして、手続き通りにハンコを押してもらう。

黙ってたって何かしてくれるわけではない。行政は「活用」(もしくは「利用」)するものだ。

情報も、自分にとって有用なものならジャンルを問わず目を通すし、納得いかなければ別のソースを見てみるし

あくまでこっちが自由に選別する立場だ。信ずるに値するとかそういう種別ではないのじゃないか。

遠方にありて、そうもアレルギー状態になるのは、何にせよ常日頃、様々な物事の在り方に深く向き合う手間を惜しんでいた

だけではないのだろうか。生きることに想定内なんてあり得ないのに。普通に暮らせる尊さに甘んじていただけではないのか。

そしてその事を真っ先に自らを省みたのだろうか?

「何かがおかしい世の中」であるけどその片棒を担いでいるのも私たちなのだ。

正しいことで人は殺せるし、正しくないことで命を生かせる。

生きる真理が単純な二元論で収まりはつく訳はない事を、

この混沌からいい加減学ぶべきは私たちではないのだろうか。

2011年5月4日水曜日

ツイッターでミヒャエル・エンデのbotツィートを見つけてそのままフォロー。

哲学にしろ文学論にしろ、透明感のある芯というのか禅などの日本文化にも影響された部分もあるからかもだけど

西洋的でありながら物事に対する姿勢というか「佇まい」という感覚が自分的には近いけど

東洋のどこか達観した部分を強く感じる。

もちろん彼自身の出自やレジスタンス活動などから得てきたもの確立してきたものもあるから

児童文学者とか哲学者とかでひとくくりに語り切れない複雑さとニュアンスがあるのも事実。

それでも何か彼の文章と接する時、静寂な時間、仏閣神社を行くような、

カップから香り立つひとすじの湯気を辿るまなざしのような、穏やかさを取り戻させてくれる。





象徴とは、解くことのできる謎(Raetsel)ではなくて、
どこまでも解ききれない秘密(Geheimniss)ですから。
秘密に満ちたものを求めることが、生涯にわたる父の課題でした。
おそらく息子の私もこれを父から受け継いだと思います。 『三つの鏡』






蝋人形の陳列室では、想像上のものやフィクションと、
現実との境界がまさに消えているわけで、そのために見物人がショックを受ける。
そういうのは、どう転んでも芸術とは程遠いしろものだ。
そういうのは、嘘でしかない。
嘘というのは自分をフィクションだと知らせないフィクションのことだからね。







人間には神話が必要なのです。
神話は人間の生の矛盾を、ひとつの物語やひとつの絵にまとめてくれますから。
人はそれを指針にできる。 『ものがたりの余白』








バスチアンはあの一夜に、あの謎めいた本を読むことにより、
彼の神話を体験するのですから。
それはバスチアンが体験する、彼の神話なのです。
そして、バスチアンは、あの夜、かれの神話を体験するからこそ、
翌日には、外の世界にも向かう事が出来る力を、
彼自身の中に見つけることになるのです。


2011年5月2日月曜日

夜長のダークダックス

私の中で長い事活躍しているコーラスグループといえば真っ先に頭に浮かびます。

たぶん「みんなのうた」とか第一線としてオリジナル曲も数多く出されていたからかと思われるからか。

「セロ弾きのゴーシュ」で好きな場面があってセロの中に野ネズミの子供を入れて病気を治す

��音響の低周波?)という件があるが、バス、バリトンの響きの重なりを聴くたびそれをなんとなく思い出す。

良いHarmonyは血行を良くする、という超個人的私論w




もちろん高音部のハモリも素敵ですよ。この曲の訳詞は石井好子さんだったのか。




中学校の合唱コンクールで歌ったなあ。寒いとこ生まれのせいか東欧系の音楽を聴くと

なんだか気持ちがしっくりきます。しかし4人とも美声。




バクさんの冴えわたる高音。




マンガさんのヨーデル。

2011年で活動終了となったダークダックス。最後までメンバーを変えず歌い続けてきた絆を

こうして振りかえられることが出来るのがしみじみと感慨深いです。

薤露

それにしても、無力なことばに縋らざるを得なかったようなここ最近だった。

それでもこの表題のように、はかない涙に例えるような悲しみは歌いたくない。

もくもくと歩き、もくもくと紡ぐ。

ただ、じっと。




十数年前に母親と駅前の蕎麦屋(地下街再編の前なのでもうそのお店はない)にいた時、

隣り合わせた壮年のご夫婦から話かけられた。

「ふと思い立ってふらっと遊びに来たんですが、3泊4日で北海道を回ろうかと・・」

その無茶振りに母と二人で目が点になった。

北海道1周を新婚旅行に選んだ人たちを2組知っているけど

主要都市、名勝など有名なとこをくまなくポイント押さえて回るのだったら1か月近くはかかる。

実際レンタカーなどで移動してもそれくらいかかるのだから

3泊4日でそれは「いや、無理ですww」と二人で慌てて止めたw

それだったら、富良野や美瑛とか回られてはどうですか?とのアドバイスに

「はーそうですか(きっとわかってない)」とお二人ともニコニコして答えていた。

眼鏡の役所勤めでもしてそうなご主人と上品そうな奥様。



なんでこの話をなんとなく覚えていて、それが最近すごく心に残っているかというと

その3泊4日北海道1周の無理なスケジュールを組んで思いついて飛行機に乗ってきたインパクトと

記憶が確かならそのご夫婦は福島からやってきたはず、ということが重なっているからだ。




通りがかりの旅の方々である。名前も知らない。無事の可否も確かめる術もない。

何を思うにも遠く及ばないのである。どんな心配も遠方にあっては一方通行の感傷にすぎない。


それでも、あの時3泊4日を過ごした北海道の思い出が、お二人の日常の支えになっていればいいと思う。

「また北海道、行ってない所に行きたいねぇ」と思い出し語り合って。

そう願っている。