2011年12月14日水曜日

脱ぐという必然

おのれを脱ぐ、という意識で書くことの背景はどんなものなのだろうと思う。

赤裸々な言葉を使うことだろうか、胸に潜む願望や欲をさらけ出すことだろうか。

それとも日常からの解放か。

言葉や展開そのものよりも、作者自身が、脱ぐ、ということについてどういう思いであるのか、

どんな変転を経てそう至ったのだろうか。

脱ぐ=官能と結びつけがちであるけれど、

自分でとっとと脱ぐか読み手に最後の一枚を剥ぎ取ってもらうかの違いは大きい。

この下着は貴方が脱がせてね、みたいな(私が書くとなんか途端に台無しw)

という意味では全てを脱ぎきってない前提で官能歌は成り立つ部分はあると思う。



やむにやまれぬものがあるほど言葉的や状況的にはリアルになる(というかノンフィクションに近くなる)



今までとは違った感覚をを目下感度磨き中ではあるけれど、


ここでさらけ出さなければ息が吸えない、とか


今吐き出さなければ死ぬしかない、とか


ああいう必然の呼吸がまたいつか、どーんと五行になって来るのだろうか。




生きている実感として絶頂の如く迫ってくるような。

2011年12月4日日曜日

God's in His heaven.All's right with the world.

表題は赤毛のアンが物語のラストで祈りの言葉のようにつぶやいた、ブラウニングの詩の一節。

神、空に知らしめす。すべて世はこともなし。


Flash mobというイベントであるけれど、日常に潜む喜びが

いきなりぐわーっと沸き立つような。

素敵なサプライズです。

世に住まうあらゆる人へ幸いを。そんな気持ちにさせてくれる。